夜
深夜TLの特別感はどこから来るものなのでしょう。規範的な生活習慣を破っている共犯意識,遮るものなく永遠に感じられる時間,あるいは寝る直前というプライベートなひと時を共に過ごしている親密感。
底なしの夜闇は私たちの身体に普く広がり,宇宙の一部を構成しています。immenseな空間は私たちの身体の輪郭を鮮明にし,はっきりとした境界は自己と外界との隔絶を齎して,孤独の寂莫と孤高の高揚とを同時に味わうのです。夜闇は上下左右の位置感覚を曖昧にし,私たちは自由の羽を持って時空を跳梁し,電灯をよすがとする虫のように,自由意志のもとでTLに結集するのです。そこには,日中の切り分けられた時空間は存在せず,結びつけられた身体も存在しません。私たちは幻想空間にあって,現実世界の対照をなす陰となって,曖昧に浮遊しているのです。
寝間着で過ごす無防備な夜間,ひとは,日中の知己には曝け出さない顔を持っているのでしょう。それは深夜TLにも同様に,視覚的な具体性をもって現れては来ません。しかし,文字というメディアの曖昧性は,伝達される情報のフィルタとなって,濾過された知覚を相互に供給します。透き通った純粋さは,情報の欠落を表すのではなく,寧ろ,完結して閉じた小宇宙を形成するのです。そして,この小宇宙の透明性は,ヴェールを纏うことをも許さず,複数の小宇宙の距離は互いに肉薄して,解放された個として,視覚的には達成し得ない親密さを生み出しているのでしょう。
日中の階層的な構造を解体して遊離した独りの個は,遮るもののない明らかさをもって相互を確認し,放射熱の伝わりのように,再構成された,拡張的な意味でのネットワークの中で,連絡しあっているのでしょう。
しかしながら,最後には,私たちは,その時空間に終焉の楔を打つことは決してなく,気絶の不可抗力をもって,光のあたる現実世界へと,再び転送されていくのです。再構成されたネットワークは,具体的なつながりを持たない儚く幻想的な存在として,瓦解の力に屈し,日中を迎えては,夢の中のことのように,特別な記憶として,過去のものとして蓄積されていくのです,新しい夜の到来を俟ちながら。