旅程
旅が好きだ。色々なことがままならぬ今,漂泊の思いはますます止まない。
旅をして,見慣れた街の風景を離れ,何もかもが新鮮な空気に身をつつまれる感覚には胸が躍る。日々歩く路やxx線のクリーム色の車体は目に馴染んで,何か思い抱くようなことはないけれど,旅先の風に吹かれ,目新しく自分とは異質なものに包まれると,「わが身ひとつ」という気分にかられ,自分の心身というものが意識される。いつもとは違うものに囲まれて,決して他人たりえない自分というものが顕わになる。旅をすると,透明の自分が目に見えるようになる。
いまの自分の輪郭が分かってしまうと,その変容への不安も訪れる。旅先の風呂に浸かりながら物思いをしていると,どうにも涙が零れてしまうのもこの所為だ。一年に一度旅をする場合,これからする旅の数というものは,これからの年数に等しい。遠い将来が,その蒙さこそ晴れないままに具体性をもって目の前に迫りくるようで,高校を出るまでにある旅は二回か,大人になっても時々旅に出るような暮らしぶりができるだろうかなどと,あれやこれやと覚束ない思いになる。
旅を終えて家の玄関に辿り着き,ずっとそこにある靴箱が視界に飛び込んでくる,他に代えがたい安心感も好きだ。旅の行程を振り返りながら,疲れた体でぼうっと過ごすのも素敵。終わった旅を振り返ると,昔を思い出すこともできる。旅の記録は残りやすく,一年一年の里程標を見つつ,辿ってきた道を振り返ることで,経験が完了相的に積み重なって構成された自己が,ずっしりとして安らかに実感される。旅は終わったあとまでおいしいもののようだ。
ところで,旅というと普通は遠くへ行くことを指すけれど,いつもとは違うものに触れるという体験は,身近なところにも潜んでいる。先月とは違う床屋の理容師さん,いつもは通らない迂回路,足下の壁の沁み——いつもと同じことをしていても,視点を変えて,何気なく通り過ぎる事象に違和を感じて気に留めてみれば,日常の中にも新しい出会いがある。こういう「旅」も大好物だ。友達と過ごす他愛もない時間も,改めて意識し直して見れば,溶けゆく氷のように刹那的な輝きを放つものに感じられる。
日常を上から瞰してみれば,多面的な自己の発見にもつながる。自己認識の解像度が精細になり,新鮮な自己との巡りあいを果たすことにもなる。こういった意味で,旅とは他者とのふれあいであると同時に,自己の内部へと続くものでもある。
今,入学からこの日に至るまでに道のりを振り返り,「旅」をしてみれば,今の自分にとってのxx中高の大きさが窺われる。思えば,中一以来色々なことをしてきたけれど,部活や委員会といった活動から日々の学習に至るまで,その多くにはxx中高という大きな所属があった。xx中高は今,自己の中でかなりの割合を占める。
確かに私はまもなくこの大いなる所属を離れる。しかし,卒業をしたところですぐに自分が変わるわけではないし,自己が経験の蓄積によって確立するのであれば,xx中高という存在はこれからも大きなものであり続ける。実は,何か新たなものが加わって自分が変わることはあっても,今まで歩んだ道が変わることはないし,例えばこの文集を読むように自らの足跡を辿れば,いつでもそれを再吸収することができるのだ。そう思い至った今,私は安らかな気持ちで,中高という一つの旅路を終えようとしている。
この文章は高校の卒業文集で、令和2年8月に書かれました。