les impressions et les expressions

ポストモダンのアイデンティティについて

des identités post-modernes
originel, 12 décembre 2021

西洋美術の紹介によって開眼した柳の審美眼は,単なる西洋への憧憬ではない人類普遍の美の探索と追及に向けられた。その過程におけるバーナード・リッチの役割は,どことなく英国風を思わせる彼の日本表現に明らかなように思われるが,このグローバルな表現には,近代的な交通の激化の中で生まれた彼の特有の生い立ちが影響しているのだろうか。さて,朝鮮の陶磁器の蒐集を通じた,柳のエキゾチズムは,同時代にありがちであった帝国主義的博物学とは一線を画するものであったから,彼の関心がその後,現地文化への深い尊敬に支えられた民芸の活動に向かったことは必然に思われる。

柳が評価した実用の齎す洗練は,地域固有の文化の中に見出された一方,効率性という普遍性の中で生み出されるものでもある。この効率性という価値と現代との相性の良さは,柳の活動が成功を収めた理由のひとつであろう。昭和日本は絶えず,欧米追従からの脱却と,未開のイメージの克服という難題を迫られてきた。その流れの中で,柳の先進性が利用されたことは,慧眼というべきか,災厄というべきか。

柳の先進性は,単なる偶然の産物ではなく,より積極的意図をもったものであった。柳の視座がたまたま今日と一致していたのではなく,彼は時代をしてその視座を追従せしめたのだ。その事実は第一に,彼が農村における農閑期の手仕事として,民芸を創造し普及せしめたことから窺える。その意味で民芸は,既存のものとして誕生し,かつ資本主義の発達の中にその立ち位置を確保していた。第二に,彼は常に編集者として,その視点を社会に共有するメディアであった。写真は一見すると,文筆の抽象性を補足するより透明なメディアであったように感じられるが,その視覚的直感性は寧ろ,柳の視点によって捕捉されたイメージを鮮烈に伝播する。モノクロ写真が植生に起因する色調の差異を捨象し,日英の茅葺の造形の一致を鮮やかに指摘したのは,決して単に技術的未成熟による帰結だったのではなく,当時写真というメディアがそのような制約を帯びたものであったからこそ,これを援用して表現したのであろう。このように,メディアとしての柳は決して無色の存在ではなく,彼によって見出された民芸は,彼が解釈する枠組の中で紹介され,確立したのだ。民芸が既存のものでありながら,同時に誕生したものであるということの所以はここにある。

柳が早くからすでに見出していた家具の数々が,戦後成長期の椅子文化をすでに経験した我々からして極めて自然に,かつ完成したものとして受け入れられるのは,今日の我々の生活文化に対する柳の影響力の大きさを物語っている。しかしながら,柳の活動が現代社会にもたらす価値は,未だ完結を見ず,力を保ち続けている。機械製品に対する民芸的美を見出した姿勢は,ポスト近代におけるアイデンティティのあり方を照らすものだ。また,国立近代美術館に対する柳の批判において,彼が近代の対象概念として非近代の語を用いたことは,伝統と普遍の融合を率いる柳の文化観を象徴するものであろう。その先進的視座は,グローバリズムと文化相対主義の葛藤の中で混迷を極める今日の世界,文化,民族のあり方さえも導いているようにも思われるのだ。

以上は,東京国立近代美術館の特別展,「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」を見てきてのものです。

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