les impressions et les expressions

二者間にある夜

la nuit entre les deux
originel, 27 décembre 2021

山を越えて斎場に向かう。葉がみな落ちてしまった林は,なお枝々に遮られて薄暗く,うっすらと差し込む西日が,茶色の靄のように隘路を照らしている。対向車は殊のほか多く,ヘッドライトの眩惑が異界へと誘ってくるかのようである。山肌は高く伸びた枯草に覆われて果てしなく感じられた。

向かってくる車もやがて少なになって突如として視界が開ける。平屋の建物が斎場だ。ぱっと開けたその空間は,山道を狭い連絡路にした向こう岸の世界のようにも思われた。門のところに自分の苗字が書いてある。しかしながら斎場は葬儀社のひとに仕切られており,客人のような気分だった。常緑の松の木は,長寿の象徴としてより寧ろ,動きを止めた静かな時計のようだった。あたりの寒さは此岸にしては異様であった。

会ったことのないいとこ叔母が世間話をしている。名前も歳も知らぬはとこの話は,たった今でっちあげられたと知らされても,あながち不思議には思われなかっただろう。葬儀社が淹れた若草色のお茶が暖かかったのは,ほんのつかの間であった。父は携帯をいじっていた。父が携帯で何を調べていたのかは知らない。母は早くも流涙していた。母の目じりの熱さが,少し嬉しかった。

焼香には多くのひとが訪れていた。彼らとぼくは,同じ写真を前に,違うことを考えているのだろう。本人が欠けていて,周囲だけが残されたさまは,輪郭だけの多角形のようだった。

遺影の肌色がやけに明るくて,祖父の顔を思い浮かべようとした。しかしながら,記憶は曖昧であった。それを確認する術はもうないのであった。少しの実感が湧いた。写真の中の祖父は,口をへの字にしていて,それはにこやかにも,車に構えたようにも見えた。

僧侶は訥々と読経をする。この僧侶は日々,何人のひとの悲しみを背負っているのであろうか。僧侶が清らかに感じられた。日本訛りのサンスクリット語直訳体の古典中国語は,人間の死の普遍性を示しているようだった。読経に合わせて響く鐘の音は,気を追い立てるようで,異界へと誘う現代音楽のようでもあった。だんだんと間隔が短くなる正弦波に近い金属音に,しばらく放心していた。

山中の斎場ながら,星はよく見えなかった。

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