都電
le tramway
tweet récrit, 08 avril 2022
都電に衝動乗りした。
空はまだ明るいけれど日は傾いてゐて,居座るやうに電車の車内に時折差す陽射しは仄かな黄金の色味を帯びてゐる。乗客はそのぼんやりとした光の中で懐かしい共通の夢をみてゐるやうだ。椅子には春色の衣をまとった熟年の婦人のグループが座ってゐて,幾日ぶりに顔を合わせたのだらうか,幾度目の春を共に迎へるのだらうか,花を咲かせた話は起伏なくゆったりと,しかし絶えることなく続いてゐる。隣には齢のわからぬ青い目の女性がイヤホンの音楽に耳を傾けてゐる。その音は私には聞こえて来ない。彼女はこの国で生まれ育ったのか,或ひは何処か海の向かうから来たのか。故郷へ帰ることは出来てゐるのだらうか。向かひには学生風の若者が携帯電話を見つめてゐて,これも何をしてゐるのかは見当もつかない。右にはこざっぱりとした紳士が皺を寄せながら瞼を閉ざしてゐる。脇には小さい子が親に守られながら立ってゐて,もの珍しさうに,しかし大げさにはしゃぐことなく運転席の方へじっと目をやってゐる。大塚駅前で幾人かの乗客が降りて,代はって大きな百貨店の買い物袋を,大切さうに二袋も抱へた黒い服の老女がシートにちょこんと座った。
停留所の前には大通りが横断してゐて,忙しさうに今風の車が往来してゐる。通りの向かひには,古い家々の小さな隙間に吸い込まれるやうに,雑草が刈られた茶色の線路がすっと続いて,やがて何処かへカーブして途切れて見える。
東京に唯一つ残った都電も,沿線の住人に取っては取るに足らない日常の一部なのかもしれないが,私には,乗客の皆が過去の記憶をなぞるやうに決まった振る舞ひをしてゐるやうにも見えるのだ。