印象
我もとより同窓とふ槪念を厭ふ。盆正月の巡り來ては緣りある人に逢ふついでも少なからず、月ごろ逢はねばすべき物語も知られで、おのづから歸屬の話になるを、我大學は殊更大きなれば、名聞こえつる同窓の人も多くして、いかに返りごとすべきか知らねば、つひに困ずるなり。例へば我大學は體育をよくする人多くして、我がえせざるところなればなほなほに仰げども、體育の形象を以て我大學の印象となし、ひいては我印象となせば全く過誤と言はざるを得ず。しかれば我同窓といふを好まざるなり。
某といふ歌詠みありて、歌集を讀めば、例のごとく奧付に略歷記さるるを、果たして我大學の人ななり。もとより我大學大きなるけにや、體育の人と同じくはあらねば、流石に物語に上る際はなかれども、名聞こえつる歌詠みもあまたあるなり。我も歌をおもしろく思へども大學の歌會にまからぬは、歌會の人いかにか心あらむ、我がわざ拙ければおほけなからむとてありありて止めぬるなり。さても、かくも優しき歌詠みは我大學をいかに見けむ、あへてえ思ひ至らず。されどもいとおもしろき歌詠みつべしと思へば、ありし日の歌集ゆかしく覺ゆ。
授業果てて、心やりにあたりを散步せむとするに、キャンパスに應援團ありて、さめきののしるに、衆人これを圍みてかつは眺めかつは歡聲を上ぐ。輪に加はらんとは覺えねば避けて通るに、たまさかにサークルの人に逢ふ。應援團を見に來たとふ。月ごろ心ばへ優なる人と胸中に思へれば、晴れがましきこと好むをあやしからず。さりとてかかる心ばせ人のいと樂しげにゐたるを見れば、今はむつかしく思はず。
思へば、某とふ歌詠みと、サークルの人とは異ならず、同じきものを目にすれど、あらぬ人のあらぬ見方をするは、もとより言ふもさらなることにや。しこうして同じき場に具して時を過ごすこそ面白けれ。同窓とふの重荷はなのめなり。あらぬ人ありといへども、我彼らのごとくあるとふ心にはあらず。かくものせば、同窓とふものいひに反撥せしはあやなきことなりけり。