les impressions et les expressions

画材

les matériaux de peintures
une vieille composition téléchargée, 20 juin 2022

今年の文集は、趣味の話をしようと思う。私は、他言語を学ぶのが好きだ。その魅力について、語りたいと思う。

古くはラスコー洞窟の壁画に始まり、人類はその内なる思いを表現し、形として遺すために、絵画や音楽といった、多様な芸術を生み出してきた。自分の今の思いを綴り、将来のための記念碑とせんとするこの文集もまた、一種の文芸、一種の芸術であろう。絵画にとって画材が、音楽にとって楽器が、その表現を媒介する手段であるが、文芸にとってのそれは、言語である。

パステルで描かれた絵と、水墨画、あるいは油絵とは、みな印象が違うように、あるいは琴とディジュリドゥーと西洋楽器とではみな雰囲気が違うように、言語というのもまた、その文体や地域によって、表現できる得意分野が異なる。各々の言語は、独自の文法や語彙によって、その言語でしか表現できない、細かいニュアンスの違いを表現するのだ。

例えば、日本語は、カジュアルな表現とフォーマルな表現を使い分けるところが特徴の一つだ。敬語法の発達は理解しやすい例のひとつであるが、文末表現を取ってみても、書き言葉と話し言葉、あるいは、公的な発話と私的な発話とでは、大きく表現が異なる。

他方、英語もまた、日本語にはないニュアンスを出すことができる。冠詞の使い分けや仮定法の存在は、その代表的な例であろう。他にも、韓国語の「합니다/해요/해」の使い分けは、丁寧さによるものなのだが、日本語の「です/だ」よりも一段階多く、その分、日本語のものとは少し違った表現である。「해요」は中間的表現で、「だ」よりは丁寧で、「です」よりは親しみのある表現だ。

このように、多くの言語を知っているということは、それだけ多くの方法で思いを表現できるということであり、より細かく正確な描写が可能であるということなのだ。

やはり、将来へ向けた記念碑となろうこの文集には、自分の思いをそのままに写し取りたいものだ。そこで、私は、一行目以来続けてきた書き言葉を、敢えてここで棄却する。ダンテがトスカナ語で『神曲』を著し、明治大正の文豪らが、新しい言文一致体を作り上げたように。

この文章は高二文集のために令和2年1月に書かれました。あと一段落ありますが、見るに絶えなかったので割愛します。

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