電車
電車って、知らないひとたちが身を寄せ合って七人掛けに座っていて、季節の洋服に合わないような気温をしていて、ゆりかごみたいに揺れていて、窓の外の景色は環境ビデオみたいに流れて、それからずっと遠くの町へぼくたちを運んで行くの。誰かの最寄り駅になっているひとつひとつの町の名前がオレンジ色の光で灯って、でもドアが締まったら、前の町のことなどすっかり忘れてしまったようにまた新しい町の名を灯して、前の町のひとはもう誰も残っていないの。やさしいのね、電車は。
電車って、ぼくの住む町からきみの住む町まで、一日に何度も往復しているの。ぼくは電車に乗ってきみに会いに行くけれど、ひと月にゆき交う電車の大半にぼくは乗ることがなくて、きみも乗ることがないの。それでも電車は大きく口を開けてぼくの町の空気を吸い、少しずつ、少しずつ薄まりながら、きみの町の空気を入れ替えるの。そしてまたどこかへ行ってしまう、そんなことなんてことないなんて顔をして。やさしいのね、電車は。
電車って、朝学校へ行くきみのうつむき気味の顔に、朝の青い光が差し込んでゆくさまを知っているの。それから、夕方家へ帰るきみの無心の顔を知っているの。ぼくがきみに会いに行く日の、いまを忘れたように少し先を見つめている瞳を知っているの。ぼくがきみにまたねを言ったあとの、少し寂し気な幸せを知っているの。でも知らないふりをしているの。やさしいのね、電車は。
電車って、ぼくがきみに出会う前の、半ズボンからはにかんだみたいにちらちら顔をのぞかせる膝小僧を知っているの。電車って、きみがぼくに出会う前の、きみがお父さんの指とつながっていたときの、お父さんの手首に寄った皺を知っているの。あのころのぼくときみは、そう、会釈のひとつもなくたまたま隣のシートに腰かけたひとと同じくらい他人で、それでも同じ電車に乗っていたの。窓の外にはすっかり見飽きてしまった家々の屋根が並んでいて、ぼくたちはずっと同じものを見ていたの。そんなことをぼくが君と話すとき、電車はさっといなくなる。やさしいのね、電車は。
電車って、いつかのぼくを知っているの。いつかのきみを知っているの。電車はなくならなくて、五十年後のぼくがこの電車に乗るとき、やっぱりぼくはきみの町へ行く電車に乗っているの。電車はなくならなくて、百年後のぼくがもうこの世にいないとき、やっぱりぼくの町ときみの町とを結んでいるの。やさしいのね、電車は。
電車が好き。電車はやさしいから。
うーへんな文章を書いたかもしれない。へんじゃないかもしれない。長い文章が書けなくなってしまったような気がしていて、それにあらがって書いてみた。