あたたか
太陽は唯一で普遍だ。ひかりは太陽から降りそそぎ、水をあたためる。水はあたためられると嬉しそうに分子を躍らせて、上から下へとぐるぐる回ってぬるくなる。そして少し膨らんで、ちいさな器のなかで、漠然とした苦しみを幸せそうに享受している。水は少し怖がっている、いつか自分があたたまりすぎて、器を壊してしまうことを。そういう水のことを、涙って呼ぶのだそうだ。それから、水がもっとあたたまってしまった日には、はらわたから恐ろしげな大泡がぶくぶくとたって、自らの体は勢いよく引きちぎられ、どこかへ散り散りになってしまったうえ、止まることなく世界中を駆けずり回るのだという。水はそのことがとても怖くて、それなのにあたたまるのを拒絶できずにいる。
太陽は水のことなんて知らないんだって思っていた。でもどうやら太陽は、水の名前を知っているらしい。口をひき結んで、み。舌先を甘えんぼうの子供のように歯茎にまとわらせて、ず。なんていう音の出し方は、太陽も水もおんなじで、でも太陽が言うと、とたんにあたたかな響きをもって、その二音は、太陽の反射をめいっぱいに受けて、きらきらと輝いていた。
太陽もほんとうは液体らしい。それは空のただ中に浮かんでいて、中心の核がまわりのガスをひきつけていて、だからまるいんだ。ほんとうに太陽が液体なら、太陽も内部ではぐるぐる躍ったり回ったりしているのかな。それは見えないけれど、なんとなくそうなのかもしれないと思った。だってたとえば太陽が、未知の物理的状態にあるなんて考えたっていいんだけれど、それよりも液体だと思っても、なんらおかしな話の行き止まりが見当たらないんだもの。
太陽がものをあたためる方法は、放射っていうらしい。それは伝導や対流とは違って、離れたところにいても、隠れていない限りはあたためることのできる、すごい方法なんだそうだ。太陽が空に浮かんでいること、それだけであたたかくて、それは太陽のなせる技なんだ。だから太陽がどんなに遠くにいっても、やっぱり水はあたたまっているんだろう。太陽はどんなに遠くにいっても、やっぱり水をあたためているんだろう。
太陽のひかりは明るくて、あたたかくて、ほかのなににも代えがたくて、ずっとずっと水をあたためている。太陽も、あかい水だったらいいなあなんてことを考えながら、水はしあわせな午睡をする。夢って、頭のなかで考えたことだ。ずっとしあわせな夢をみていれば、きっとなにも恐れることなんてなくて、水はたのしそうにあたたまるのだろう。