大学という時空
入った時にはちっとも良いところに思われず、ただただ高校生の時分を懐かしんでばかりいた大学も、もうすぐ出ようというばかりになって離れがたいものに思えてきてしまった。
大学にはいろいろな形の建物があって、みな普段は何気なく通り過ぎてしまうから、よく見ないとその違いには気が付かないのだけれど、実は目指しているおしゃれさの方向性だとか、そういうものはみんなばらばらだということがひとりで散歩をしていると見えてくる。建物の間には木々が立ち並んでいて、その木の中には、ずいぶんと下のほうから伸びている1mくらいの銀杏の若い枝(草、と表現したくなるくらいに黄緑で若い)や、春なのに黄色い葉がたくさん混じっている木や、メタセコイアの並木があって、街路樹とは少し様子が違う。
メインストリートには常にたくさんの学生が行き交っていて、楽しそうに談笑をしているひともいるけれど、じつはそんなに楽しくなさそうなのに談笑をしているひともいて、そのことがとても落ち着いている。授業の合間には一人で歩いているひともたくさんいて、大きな目立つヘッドホンをつけながら、周りとは全く違う聴覚世界の中を歩いているひともいる。一方、建物の裏手、どこの学部のものでもない建物のところは人通りもまばらで、そこをゆっくりと歩いている学生は、みんな少しくつろいで見える。そういうところの学生は空を見上げていることが多くて、でも、実はちっとも知り合いではなくて、学んでいることも、これまで歩んできた道も、これからの世界も違うから、本当は全く違う空が見えているのかもしれないな、とも思う。キャンパスはなんとなくさみしくて、しづかで、でもあたたかくて、やさしいところだと思う。
学生街はふしぎだ。レストランが立ち並んでいて、たくさんの学生がアルバイトとして店を切り盛りしている。でもそんな学生たちもそのうち卒業してしまって、お店だけはずっと昔からあるのに、お客さんも店員さんもそんなことは知らないままだ。四年間はある意味とても短いし、ある意味とても長くて、そういう曖昧さが、なんだかみんなずっと昔から町を知っているような気にしてくれる。学生街のお店は総じて安くて、またオフィス街や歓楽街では見つけられないようなお店も数多くあり、空間的に独特で、学生生活を構成する時間と空間という二つの異なるベクトルは、じつは独立ではないような気がしてくる。
卒業したあとも、いつでもこの町を訪れることはできるのだけれど、もう決して大学生としてこの空間の一部になることはできないのだなと思うと、空間というのはふつう消えないものだからこそ、それがとてもふしぎで、惜しいという気持ちが湧くのかもよくわからない。だけれども、夏が来て、秋が過ぎ、冬が明けたら、きっとたまらなく寂しくなってしまうのだろうな。