les impressions et les expressions

階段

l'escalier
écrit, 19 mai 2024

私の大学は起伏の豊かなところにある。だからそこら中に坂や階段があるのだ。一階にいると思ったら気づいたら二階にいたり、と思ったら地下一階にいたり、方向音痴な私にとってはなかなか難しいのだが、坂や階段がたくさんあるのは良いことだと思う。私は東京の東側に生まれ育ったので、地元には坂があまりなくて、大学のほうの町に行くと、そこら中がうねうねとしているのが、なんだか探検みたいでわくわくする。そんな、低いところと高いところとを結ぶ階段をぼくはしばしば眺めて、自分のものにしたいと考えては、それは湖面の月のようなもので、諦めている。

低いところは人通りが少なくて、すこし暗くて、打ちっぱなしのコンクリートが一層に痛々しい、そういう殺風景な場所だ。一度そこの教室で開かれるフランス語を取っていたことがあるが、それは会話の授業で、四人しかいない空間に品の良いなりをした、肌も髪も象牙色の先生が明るいながら奥行きのある声を響かせて、バルザックの引用をしながら夏の思い出について話をしていらした。教室の明かりはバレンシアオレンジのような色をしていて、じめじめとした夏の夜に、ひときわ目を引く暖かさをもっていた。けれどもなにせそこは人通りの少ないところだったから、その人を惹きつける気配も、実際にはほとんど知られていないのだった。

高いところはそれとは対照的にずっと明るくて、なんせたくさんの学生が往来するものだから、同じ素材のはずのコンクリートもずっと白くて、すこし都会の装いをした、でもほんとうはカサブランカの白壁のような、そんな色の床と、壁と、柱とがある。高いところはずっと広くて、だからこそ、沢山の人の往来さえも忙しく見せないようなハイソさがあって、それだけに、一人に優しい、人と一緒にいても少し距離を感じてしまうような、そんなモダンなところだ。

階段は高いところと低いところを一直線につないでいる。それはまるで、絵を眺めた後、一つ隣の別の絵を眺めるようだ。よく調和しながら、決して同じではない二つ。その間にある、何色でもない壁のような、そんな寛容さと断絶を以て、段々とした階段。ほんとうは物質なので、少し欠けたところもある、コンクリートの階段。

高いところと低いところを繋ぐ階段は、実のところメインルートではない。高いところに行く人と、低いところに行く数少ない人とは大抵違う道を歩くので、その間を繋ぐ階段は、ちょっと意外性をもった存在なのだ。それだけあって幅も小さく、腰かけでもしたら、自分の身と、それから左右のゆとりとでたちまちに塞がれて、道としての機能を果たせなくなってしまうだろう。マイナーな低いところよりも、更にマイナーな階段。脇に少しだけ枯草が生えていて、その疎らさもまたそれらしい階段。そんな階段が、私をたまらなくわくわくとさせてくれるので、ついぱしゃぱしゃと写真を撮ってしまったら、携帯のアプリが親切にも、似たような写真だと言ってひとまとめにしてくれてしまった。

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