les impressions et les expressions

軽安

kyōan
originel, 15 septembre 2024

軽安(きょうあん)、というのは仏教用語なのだが、どうにもこの言葉が一番しっくり来るのではないかという心の状態がある。何かにせわしなく心を時めかせているわけでも、もちろん焦っているわけでもなく、しかし、ずっと家で暇しているときのような、気だるさがだんだんとほんとうに身体のだるさにもつながっていってしまう感じのするあの感覚でもなく、ただただ心が晴れやかに落ち着いていて、目の前の世界か、自分自身のことかも曖昧なうちに、愛着、というほどの他者化もないような、気持ちのいい心の状態が最近久々にあって嬉しかった。

知らぬ間に昔を美しく書き換えてしまっているだけかもしれないが、学部の一年や二年のころには大学の空きコマにこういう心の状態になることがよくあって、それはとてもうつくしく居心地のよいものであったし、その静けさは、否応にも時が過ぎて行ってしまう現実というよりも、過去から現在、そして未来へと永劫にひとしく現在のものとして存在している文章で書きあらわすのが何よりもぴったりなのではないかという想いがまさって、思えばそういったことを書きとめるために、githubに書きものをするところを作ったのだった。

その久々の日というのは、高校の先輩との約束をした日で、上野で六時に待ち合わせになっていたので、その前に少し気になっていた上野の森の展示を見に行っていたのだ。美術館は五時で終わってしまうので一時間暇になることは決まっていて、案の定暇になったので、そのあたりのベンチに座っていた。

(この文章はかきかけです。)

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