les impressions et les expressions

固定端反射

La Réflexion sur une Extrémité Fixe
originel, 29 janvier 2025

しあわせってひとりじゃないってことで それは人数の話とかではなくて ひとりじゃないってことで 大人数でいてもひとりのときはひとり まわりにだれもひとがいなくても世界と感応しあってるときはひとりじゃない なにかに夢中になっているときとか 夜風にあたっているだけのときとか 感応しあっていないとひとり 気持ちが同じ方向を向いているか、互いを向き合っていなければひとり 似たようなことが好きだって、道具の話なんかしてもちっともひとりじゃなくなりはしない なにも気持ちがうごいていないときがこわい それって死んでるみたい 死 死んでも身体はなくならなくて 荼毘に附しても原子でできてて 動かない エネルギーがないことが死 生きるって波みたい 波みたいだからつたわる ふれて 形が乱れたり 大きくなったり 小さくなったり 気持ちがうごかないとひとり ひとりは死ぬこと 死ぬことはさみしい

片想いって手押し相撲みたいだ 片想いってれんあいでいっぱいいっぱいだから それ以上なにをみてももうきもちがうごかないのかな いっしょにいるときくらいわすれてほしい まっさらな波になって くるくる くるくる 固定端反射はいらない かたまった外側は押してもひびかない 押してもひびかないときぼくの波はもっと大きく乱れて でもそれは観測されない 速さって相対的なものだっていう 速さがない波は波でいられない 大きく乱れても、死んでる

波が消えることはない 波はべつの波をつくるから 肉体がエネルギーを失ってもどこかで自分のつくった波がそとの世界に生きていて ただひとつ死ぬことがあるとすれば、観測されなくなること 自分が死んだあとの世界を想像するとき自分は死んていない 自分がつくった波を伝えるひとたちの中にある波を自分が見ることができるから でも自分が死んだあと自分はそれはできない だから自分は死ぬ ひとが見てくれたら死なないけど だから 生きていてもひとが見てくれなければ死んでいるみたい

胸に手をあてたとき、手が胸をあてていると思うひとは、胸がいっぱいで、胸でなにかを感じるゆとりがないひとらしい でもずっと手を当てているとすこしずつ胸が解放されていって胸にあたる手を感じることができるという こっちをみてよ

なんてことを言っているけれど、そもそもだれの波も動いていなかったらそれはそれははづかしいことですね。そんなふうに見える、固定端反射の端だけ見ている。動いていないかもしれない。こわい。見るとき、見られている。見られていないのに見ているならひとり。ひとりは死ぬこと。死ぬことはさみしい。

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