les impressions et les expressions

microsoft office

originel, 19 avril 2025

officeを買ふかどうかでずっと迷ってゐる。大學を卒業して、今まで大學から與へられてゐたアカウントが失效してしまったので、どうにかしなくてはいけない。初めのうちはどうしてか使へてゐたから、ほかのサブスクリプションのサービス同樣一年くらゐは許してもらへるのかと思ってゐたら、一か月だったらしい。

いままでずっとofficeはなんとなくずっとあるものだと思ってゐて、大した用があるわけでもないときにでも適當に開いておくとちょっとしたことができて便利、といふ存在であったのだ。htmlのテーブルをexcelにコピーしてからcsv擴張子で保存して、そこから正規表現でいい感じの文字列置換をしてjsonで扱へるデータを作ってみるとか。いくつかの圖形を組み合はせて自サイト用のアイコンを作ってみるとか。一瞬保存する用の文章を書くとか。

しかし、ちょっとしたことをするだけの割にはofficeは高い。べつにひとりで遊ぶだけなので、データを管理するわけでも、文書を記録するわけでもないし、ましてや人にプレゼンをする機會なんてさうさうあるはづもない。といふと、本當にofficeが必要なのかといはれれば迷ふところで、無料の表計算ソフトを入れるだとか、これを機に思ひきってgimpやinkscapeやlatexをいじれるやうになってみるだとか、手はいくらでもあるやうな氣もしてしまう。仕事では會社支給のパソコンに入ってゐるofficeを使ふのだし、べつにこれが今生の別れになるわけでもない。

ただ、やはりpowerpointはちょっとした畫像を作ったり、畫像になんらかの特殊效果を入れたりするのにあまりに便利で捨てがたいものだし、excelに關していへば、この先思ったよりVBAに慣れておくことにメリットがありさうなので、自由にいじれるやうにしておいて、氣の向くままにもう少し腕を上げられるやうにしておいたはうがいいのではないかといふ氣もする。excelの中だけで完結できるやうなことは一通りできるつもりだが、外部アプリケーションの立ち上げなんかはあまり分からないままにゐる。(もちろんwordやpowerpointでもVBAは起動できるが、オブジェクトひとつ扱ふのにもやけにややこしくてあまり意味がない氣がするからあまり食指が動かない。)

officeについてはいろいろ思ひ入れもある。六歲で初めて自由にパソコンが觸れるやうになったとき、インターネットと同時間以上に、お繪かき帖代はりのキャンバスとして使ってゐたのはexcelのワークシートであった。なんせ平成14年生まれなのにexcel 2003のださくてしかたのない標準グラフの配色に郷愁を覺えるのだ。イルカの話ばかりが話題に上るが絶對にグラフの色がださいほうが語り草だと思ふ。

中學に上がってからは、部活のパソコンにいかにofficeやその代替物を導入するかで苦心してきた。無料のoffice suiteはあの時期に一通り試したつもりだ。それどころかwindowsのライセンスキーさへ充分に手に入らなくてubuntuやらmint osやらを入れたりしてゐたくらゐなのだから。

office suiteをめぐる環境も當時とはずゐぶんと變はってゐて、googleのウェブアプリはmicrosoft officeさへをも猛追してゐるし、office onlineといふ名前でサービスを始めたばかりであったオンライン版のofficeもsharepointのアドレスでかなり充實してきてゐるやうだ。私は古い人間なのでかういふ新しい文化には今ひとつ馴染めない。仕事ではもちろん使ふし、サークルの作業にも積極的に利用してきたけれど、googleのウェブアプリがあるからそれでいい、といふ風にはとうてい思へないのだ。むしろ、さういふのって若者しぐさみたいな氣がして顔を顰めてしまふ。同い年なのにね。そんなくだらない矜持があるので、officeをどうしやうかといふ問題に一層頭を惱ませることとなってしまふのだ。

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