les impressions et les expressions

アオキのカスミソウ

les gypsophiles jaunes
originel, 31 octobre 2025

日常と非日常の境目にあるものが好きだ。それは、非日常が非実在ではないことを教えてくれる。

江東区の砂町で生まれ育った。東京と千葉の真ん中にあって、江東区民の週末のレジャーといえば、日本橋や銀座に出かけることもできるし、船橋や三郷のショッピングモールに行くこともできるのだけれど、区内にあっていっとう心躍るものといえば豊洲のららぽーとだ。豊洲ららは江東区民のもので、日本にふたつしかないキッザニアも、東方や松竹やハリウッドの最新の娯楽を運んできてくれるTOHO CINEMASも、区内の小学校ではご近所さん向けの割引券を配るのだ。豊洲ららの商圏がどこまで広がっているかはわからないけれど、だから江東区民は豊洲ららを、自分たちの町の中にある、いちばん素敵なところだと思って歩いてめぐる。

区内は南北交通に乏しくて、門仲か清住のどちらかに住んでいるひとを望んでは、豊洲に電車で行くことは甚だ困難だ。幼い日を思い出すと、豊洲の光景は、親に載せられた車からの景色ばかりである。いまはもう車は手放してしまったが、当時は家に一台あって、──南関東のひとにとって車とは家族で乗るものだ──、あまり運転したがらない母も、豊洲くらいなら、と連れて行ってくれたものである。

幸せな日曜日のららぽーと巡りの最後に行く店、それは決まってスーパーマーケット・アオキだった。アオキの立ち位置はちょっと絶妙なところにある。アオキはスーパーで、だから日常的だ。たんに買い物をすると重いという所帯じみたわけで最後にとって置くくらいだもの。でも、アオキはちょっといいスーパーなのだ。あのころ成城石井はまだそれほどあちこちにあるというほどでもなかったけれど、アオキはもっと少ない。ほんとうは伊豆のスーパーらしいけれど、伊豆以外には豊洲ららにしかないのだから、江東区民にとってはたったひとつのアオキだ。だから、ちょっといいアオキでちょっといいものをバスケットにいれる恍惚は、とても純粋である。大丸のヴィタメールのような、世界にいいと広く知れ渡っているものもいいけれど、アオキがちょっといいことは区民しか知らない。閉じた幸せのなかにある、閉じたスーパー、それがアオキだ。まぼろしのような日曜日と、ふつうの平日の間にある存在、アオキ。

アオキが閉じてしまうという。定期借家権の期限なのだ。パレットタウンと同じ理由だ。無限の増殖と繁栄を前提とする資本主義社会の中で、唯一人間のいのちのように限りをもたらすもの、定期借家権。平成14年に生まれた私にとって、平成17年にできたアオキはずっとそこにあるもので、でも私の就職を目にして、儚く散ってしまった。人生で初めて見た映画は『犬と私の10の約束』(平成20年)だ。犬は、「私は、長くても20年しか生きられません。」って言っていた。

見捨てられて人知れずなくなるのとは違う、アオキの終わり。アオキは伊豆にある。でも伊豆は遠くて、アオキもそれをわかっていて、なにかのご縁がありましたら、なんて言っている。ちかくのなぞの店のシャッターは近隣の店舗ですって堂々と新宿の地図を載せているのにね(大島のひとを除いては、江東区民にとって新宿はおよそゆかりのないところだ)。もちろん新宿と伊豆では新宿のほうがぜんぜん行きやすくて、新宿のバーゲンセールとかふつうに行くのだけれど……。見捨てられて人知れずなくなるのとは違うけれど、でも、この世にあり続けはするのに、ね。人と人との関係ってあんまりall or nothingではない。そういうふうになるのはほんとうに死んでしまったときだけだ。

アオキはがらんどうで、母は震災後のようだと言っていた。雑貨とかいてあるものが100円くらいで売っていたが、それがなんなのかはあまりわからなかった。たぶんお店のひともわからなかったから雑貨と書いたのだろう。その雑貨は、隣の商品とは20メートル離れて置かれていた。

カスミソウが売られていたので買った。四割引きらしい。べつに定価を払うよ。そんなわけで、花束をもってアオキとお別れした。風の強い日で、家に帰るまでの間に茎が折れてしまわないかが心配だ。なんせ豊洲というのは車がないと家路がたいへんなのだ。

そんなわけで、リビングに生けたこのカスミソウが枯れるまで、もうすこしだけ、アオキはこの家にある。アオキのカスミソウだから、ちょっといい花だ。

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