サーカス
この町は、一晩のサーカスのために作られた町だった。
百科事典的に言えば、それは事実ではない。町というのは自然にできるもので、サーカスのずっと前からあったし、サーカスが終わったからと言って、そこで暮らす人間は、そこに暮らし続けるしかないのだ。しかし、その町が一晩のサーカスのためにできたことは、その町に住む人たちの五人に四人は首肯することだと思う。
それは、なにも特別なサーカスだったわけではない。もちろん、町にサーカスがやってくるということはそう何度もあるわけではないから、そういう意味ではそれなりに記憶に残るものだったことだろう。しかし、そうしたアドレナリンは一時のもので、それだけで、この町がサーカスのためにあったと長年語り継がれていることを説明するのは、とうてい十分とはいえない、と思う。
サーカスなんてものは狂気だ。見てごらんよ少年、あのピエロの、死人のように塗りたくった表情の見えない白粉と、その不気味さを隠すようなふざけた髪型を。ワシントン会議が見たら卒倒するようなライオンたちの芸を。ライオンが火をくぐっているのの何が面白いのだろう。ライオンのケイパビリティはシマウマを狩ることだ。火をくぐって肉片を与えられているライオンなど、狩猟本能をオンラインカジノの射幸心で満足させる人間の、画面の光を移した青白い顔のようではないか。
少年は言う。そんなことはないよ。サーカスは面白い。だってサーカスは特別だ。理屈で考えたらおかしなことを使って、ひとの感情を動かすことができるなんて、それこそが面白さの本質であって、むしろ言葉で説明のできる要素というのは、面白さの影のようなもので、面白さそのものではないんじゃないかな。だから説明ができなくても、この町がサーカスのためにあることは真実なんだよ。
町長は、少年の言うことには一理あると考えて、では町の歴史を編纂して、この町にとって重要なあのサーカスを記録に残そうではないかと宣言した。
鏡屋の奥さんが言う。でもそんなものを作って誰が見るというの。この町がサーカスのためにあったとしても、この町の人間はわざわざそんな本を読まなくともすでにそのことを知っているし、ほかの町の人間はわざわざそれを読もうとしたりはしないだろうよ。サーカスというのは順繰りに町を回っていくもので、この町でサーカスがあったかどうかなんて、ほかの町の人間にとってはどうでもいいことよ。
少年は再び口を開ける。そのとおりだ。それにサーカスがどんなものだったか、それを正確に言葉に書き記すことはできないのではないかな。サーカスというのはサーカスであって、言葉の集合体ではないのだから。総じて言葉というのは、本当のことに近づくためのいちばんの手段ではあるけれども、それそのものではないということを覚えておいたほうがいいよ。そのくせ、実際いちばんの手段ではあるのだから、うっかりするとこの町の人は、サーカスのことを思い出そうとしたときに、サーカスではなく、サーカスのことを記した書物の記述を、サーカスそのものと勘違いして思い出すようになってしまうのではないかな。みんながみんな同じ記憶を抱えているなんて、そんなものは集団催眠のようなものでおよそ真実らしいものではないし、すべてを言葉にするということはできないのだから、記憶のトリガーの多様性が失われるということは、サーカスの大部分を失うようなものだよ。道をすべて巡っただけで、建物の中に入らずに、ある町のあらゆるところに行ったということはできないし――Google Mapのストリートビューで旅行はできないようにね――、記憶の部屋を再開発して大きなショッピングモールにしてしまうなんていうことはやめたほうがいいね。
それで町の人たちは、代わりにときどき自分たちでサーカスの真似事をして、サーカスを思い出すようにしたんだ。ピエロ役の人は顔にCanMakeをぬりたくり、ライオン役の人は、火を描いた板をくり抜いて、その中をジャンプした。ほんものの火は危ないからね。それからその日たまたまその町にいた外の町からの客人の、柔らかな指の腹に、ツベルクリン注射の針を刺して、血の滴らないうちに、指の腹に開いた穴の形を半紙に写し取って、神様への捧げ物としたんだ。それは本物のサーカスとはおよそ異なるもので、その違いを意識するたびに、町の人たちはあの晩のサーカスのことを思い出すことができるという仕組みさ。
町の人たちのサーカスの真似事はだんだん上手になっていって、偽物の火の板でも、ライオンは迫真の演技をすることができたし、ピエロの不気味な笑い声の声紋は、あの晩のピエロに瓜二つだ。
それからしばらくの月日が経った。しかし、あの晩のサーカスを思い出すためには、違いを見つけなければならなくって、だからどんなに上手なサーカスができたとしても、町の人たちは決してそれを本物のサーカスだとは思わなかった。次第に町には、町の人たちのサーカスの真似事を目当てにした旅人が時折訪れるようになって、噂通りの指の腹の傷を満足そうに眺めるんだ。でも町の人たちにとってそんなことはどうでもいいことだ。町の人たちは満足したくてそれそいているわけではないし、そもそも町の人たちはお客さんになりたいのだから、自分たちがやるということは全然違うものだからね。