卒論(振り返り)
本稿は卒業論文についての振り返りをするものです。アカデミアに残るのであれば、問題点を修正して再投稿などしたいところですが、あいにく卒業後は就職してしまうので、記念碑的に総括をしようとするものです。なお、要旨と本文は前の記事です。
背景情報等
本稿は令和6年11月から令和7年1月にかけて執筆されました。ほんとうはもっと早く書き始めるべきだと思います。推敲の過程で11月の草稿は7割程度がリライトされているので、この体裁になったのは実質的に年末くらいです。数回ほどゼミの先生のご指導をいただいたのちに、卒業論文として提出しました。同時に学部の論文コンクールにも応募しましたが、受賞はなりませんでした。この振り返りは直接的には私自身のものですが、そのため、ゼミの先生のご指導や論文コンクールでいただいたコメントが部分的に反映されています。
反省(形式面)
文章が読みにくいです。現在交際しているひとにライティング・センターの利用をすすめられていたのですが、腰が重くて行きませんでした。よくないね。どんな内容でもなるべくわかりやすく伝わりやすい文を書く技能はどこに行ってもあって損はないものなので身につけたいです。
反省(内容面)
テーマの絞りかたに工夫の余地があったかもしれません。本論文は議会内のコミュニケーション・モードに焦点を当てたものではありましたが、それゆえそもそもどうしてマイノリティの解釈資源の問題を解決すべきなのかについては十分に触れることができませんでした。その結果、ミニ・パブリクスなどの競合するアイデアと比べての優位性を明らかにし切れず、懸念点ばかりが思い浮かびやすいものとなっていたと思います。
議会の優位性は、議会は全国民の参加を前提とする唯一の公共圏であり、またその決定により全国民を拘束することのできる唯一の公共圏であることです。
現代では、複数の合理的な意見が併存し、それらの意見は共約不可能なままとなっています。その状態から一つの立場を優先させて何か決定を下すためには、もはや理由に頼ることはできず、ある人が、別の人の考えを無条件に受け容れることに納得するしかありません。そのためには、別の人を人間的に承認し、自身の身内であると考えることで、他者の利益を自身の利益であるかのように捉える感覚が不可欠です。
このことを国政レベルで実現するには議会が最適です。議会では、議員らが一つの結論を下す段階のみならず、国民が議員を選ぶ段階でも、自己と他者を同一化させる回路を経るからです。どんな選挙の候補者も、有権者とまったく同じ意見や考え方をするわけではありません。そのうえで有権者は、議員が自身と同じであると疑似的に承認することで、自らの主権を彼らに任せているのです。場合によっては、議員が自身の考えとは異なる振る舞いをすることや、自身の投票した候補とは異なる候補が当選して代表となることもあるでしょう。それでも有権者は次の選挙まで、その代表をみずからの代表と承認しなければならず、それを正当化するプロセスこそが選挙なのです。ミニ・パブリクスやそのほか競合するアイデアでは、こうした、異なる意見に理由なく身を任せるという行いを有権者レベルで正当化することはできません。そのような環境下では、議論の参加者は何らかの主義や自身の背後にいる国民に拘束されることになり、自律性(autonomy)という存在の政治の利点を十全に発揮することはできないのです。
ただし、代表が有権者の見解とは異なる振る舞いをしても、それを承認して受け容れるという考えは、場合によっては反発を招くこともあるでしょう。本来、投票先の候補者が落選した場合にはそうした状況は必ず発生するわけで、それでも有権者は議会の定める法律に拘束されるのですから、そのような事態はそれほど突飛なことではありません。しかしながら、有権者がアイデアの政治にもとづいて投票しているとき、こうした事態は感覚的に有権者にとって受け入れがたいものになるでしょう。有権者が自身の意に反する決定に従うことに納得をすることは、その決定の正当性に直結します。そしてそのためには、存在の政治のような、理由に基づかない同一化のプロセスを経る必要があるでしょう。
それゆえ私の議論は、有権者の投票行動に対して意識改革を促すものであり、一種のコンシャスネス・レイジングといえるでしょう。したがって、議会という既存のチャネルを用いることを説くにもかかわらず、私の議論はミニ・パブリクスやそのほかの競合するアイデアと比べて決して容易に実現できるものではないでしょう。ただ、ある特定の不正義を是正するために、ミニ・パブリクスが制度的な補正をかけるものだとすれば、私の提案はデモクラシー本来の作用によって解決を図ろうとするものです。立憲デモクラシーの歴史が証明する通り、不正義の予防には制度と実質の双方が必要です。そうした意味では、国民の意識を所与として制度的に解決を図ろうとする提案を行う上でも、一考の価値のある議論なのではないかと思います。